瑠璃光院 白蓮華堂

1月, 2016年

2016年01月18日

和讃のひかり

恩愛おんあいはなはだたちがたく

生死しょうじはなはだつきがたし

念仏三昧ざんまいぎょうじてぞ

罪障ざいしょうめつだつせり

高僧和讃 龍樹菩薩讃

 

語句の意味

▽恩愛=父母・妻子などの情愛、愛着。煩悩の因。

▽念仏三昧=三昧は禅定。阿弥陀仏の他に心を移さないで念仏すること。

▽罪障=煩悩によって作ってしまう罪業の障碍。

▽度脱=生死の苦海を渡って解脱すること。

 

和讃の意味

この和讃は二首の連作。前に

「一切菩薩ののたまわく われら因地(前の地位)にありしとき 無量劫をへめぐりて 萬善諸行を修せしかど」

という一首がある。意味は、すべての菩薩たちが言われているのは、

自分たちが菩薩になる前、永い時間をかけてあらゆる難行苦行をしたけれど(以上一首目)、

父母・妻子らへの恩愛の情はどうしても断ち切ることができず、

また生死(生老病死、この世の煩悩)の迷い、悪業をどうすることもできなかった。

ところが幸いにも、念仏三昧(阿弥陀様を信じきった)の結果、

ついに煩悩の罪障(罪業のさわり)が消滅して悟りの世界に渡ることが出来た。

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2016年01月13日

寒の入りを迎え、本格的に冬を感じるようになりましたね。

今年は暖冬といえども、やはり炬燵が恋しいものです。

炬燵といえば蜜柑ですが、白蓮華堂のロビーには、

蜜柑と同じ柑橘の仲間「仏手柑(ブッシュカン)」という果物が飾られています。

 

仏手柑はインド北東部原産。

鮮やかな黄色い皮はゴツゴツしており、

柑橘の仲間なのに果肉がほとんどないという、ユニークな果物です。

主に観賞用として栽培されており、江戸時代に書かれた「大和本草」(1709年)には、

「果物とは言い難い」などと記されています。

残念ながら生食には向いていないようですね。

 

果実は長楕円体で先が指のように別れており、

まるで合掌する両手のように見えるため「仏の手」と美称したことが、名前の由来だそうです。

 

そんな有り難い名前の果物が、皆様のご来寺にささやかな彩りを添えてくれることを願っております。

まだまだ寒い日が続きますので、どうかご自愛くださいませ。

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2016年01月11日

和讃のひかり

信心よろこぶそのひとを

如来ひとしとときたもう

大信心は仏性(ぶっしょう)なり

仏性すなわち如来なり

浄土和讃・諸経和讃

 

*意訳

仏法を聞いて信心を喜ぶ(歓喜する)人は、仏になることが決まっているので、

如来と等しと説かれます。この大信心(他力の信心)によって自己の仏性に気付くことから、

仏さまから頂いた大信心は仏性であり、仏性はすなわち如来なのです。

(仏さまからそっくり頂いた他力回向の大信心は、人の心に宿るものだけれども、

そのまま仏さまの性格をもつものであり、本質は仏なのです。)

 

*文意

真実の信心をえてよろこぶひとは、如来と等しいものだと説かれています。

その他力の信心は、やがて仏性をひらく正因(仏縁)でもあるから、

信心をそのまま仏性といい、仏性をそのまま如来というのです。

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