瑠璃光院 白蓮華堂
日曜仏教礼拝(10月25日・鈴木先生)
一切の功徳にすぐれたる (現世利益・現世の生き方)
一切の功徳にすぐれたる
南無阿弥陀仏をとなうれば
三世の重障みなながら
かならず転じて軽微なり
意味
あらゆる功徳にすぐれている名号を称えると、
三世の重障、つまり過去・現在・未来に得た重い罪障、
それらのすべては必ず転化してかすかなものとなる。
そういう趣旨である。信仰すれば苦しみ悩みは
すべてなくなってしまうと言わず、重いものが
軽く転じられて負担が軽くなるという表現です。
これが正しい宗教の利益の表現だとおもいます。
軽くなると表現されているところに味わい深いものがあります。
現世利益
この和讃は現世利益和讃のひとつです。
信心の人が生きている間、現世で獲得することの
できる利益を説いているものです。私たちは、
欲しいものを手に入れ豊かに楽しく生きたいと思っています。
しかしすべての人が欲求を充足できるわけではなく、苦しみが始まるのです。
正しい宗教の現世利益は物質的なものではなく精神的なものです。
阿含経に、「教えを聞くことのない愚かな人は、
二つの苦しみに耐えなければならない。すなわち身の苦しみと心の苦しみである」と書かれています。
向こうからやってくる苦しみに加えて、今度は自分が苦しみ悩みをもちこむ。
疑いを持ったり、恨みや憎しみを持ったりして、身の苦しみを心によって倍加させてしまう。
それが心の苦しみです。しかし教えを聞く人はたった一つの苦しみを受けるだけ、つまり身の苦しみだけです。
暑いとか寒いとかは、教えを聞く聞かぬのいかんにかかわらず、平等に受けなければなりません。
ですが、教えを聞く者は、心の苦しみから免れるというのです。それだけ負担が軽くなっているわけです。
また、現世利益といいますと、何か物質的な低級な宗教と思われがちですが、
高度な現世利益の教えは、心を浄化するのが目的で、それに伴う利益は、物質的なものを超え、
私達の人生をどれほど豊かにするか、はかり知れないものがあると考えます。
信心には、自然に必然的に利益は伴ってくるものです。ですから、利益をあてにしない、目的にしない。それも大事なことであります。