瑠璃光院 白蓮華堂
日曜仏教礼拝(12月6日・永楽先生)
2015-12-07
和讃のひかり
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり
浄土和讃 讃阿弥陀仏偈讃
一 曇鸞和尚
『親鸞和讃』の最初に出てくる和讃で、七高僧の三番目曇鸞和尚の
「讃阿弥陀仏偈」という仏教詩の内容を紹介した和讃。
曇鸞和尚は中国北魏時代(五、六世紀)の人。
幼いころから病弱で、「仏教を学ぶためには先ず長命でなければならない」と考え、
不老長寿の道を求めて仙人の修行をした。
長寿の法をマスターして故郷へ帰る途中、北インドから来た菩提流支という三蔵法師に遇って、
「長寿の法を身に着けても生死の輪廻を脱することは出来ない(さとりは開けない)」と諭され、
「観無量寿経」を与えられ、その場で仙経(仙術の虎の巻)を焼き捨てた。
「親鸞」の名前は、二番目の天親菩薩の「親」と三番目の曇鸞和尚の「鸞」といわれる。
二 和讃の意味
「阿弥陀如来が私たち衆生を救おうと長い間考え、修行を重ねて仏に成ってから、
もうすでに十劫(劫とは)という長い年月が経っている。
阿弥陀如来が皆を救うために放っている光明(慈悲と智慧の光)は限界がなく
いつまでもどこまでも照らし続けており、煩悩で眼が曇って正しくモノを見ることが
できなくなっている私たち(盲冥)を守って下さっている」。
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