瑠璃光院 白蓮華堂
日曜仏教礼拝(1月24日・岡村先生)
和算のひかり
本師曇鸞ほんしどんらん和尚かしょうは
菩提流支ぼだいるしのおしえにて
仙せん経きょうながく焼き捨ててやす
浄土じょうどにふかく帰せきしめき・・・・親鸞聖人
(高僧和讃曇鸞大師讃)
【七高僧第三祖曇鸞大師の生涯】
七高僧の第三祖は曇鸞大師と申します。
親鸞聖人は曇鸞大師の人生の歩みに独特の関心と感銘をおもちであったようにおもわれます。
曇鸞大師は紀元四七六年に生まれ、五四二年に亡くなられました。年は六十七歳です。
日本でいうと聖徳太子の出られる少し前ぐらいになります。
中国の雁門、今の山西省太原当たりの出身です。近くの霊地五台山で出家されました。
仏教はじめ多くの書物を学ばれたので、後に四論の始祖と仰がれるようになりました。
しかし、病にかかり、まず長生きの法を見つけねばと考え、
当時の道教の権威であった陶弘景から不老長寿の法を学んで、
仙経十巻を授けられました。喜ばれた大師はその帰途、
洛陽で菩提流支にであったので
「仏教の中に、道教で説くよりも立派な不老長寿の法はあるのか」と尋ねましたところ、
菩提流支は大地に唾を吐いて、その愚かさを笑い
「そんな仙経が何になるか、永遠のいのちを身に着けるのはこのお経ですよ」といって、
『観無量寿経』一巻を曇鸞大師に授け、長生不死の法は仏教に勝るものはないということを力説されました。
菩提流支の教えに深く感ずることのあった大師は、
せっかく持ち帰った仙経を焼き捨てて、深く浄土の教えに帰依されたのでした。
それからの大師は、道教はもちろんのこと自力の修行の仏道をすべて全て捨てて、
浄土の教えを明らかにすることに精進しました。
『南無阿弥陀仏と称えることで、阿弥陀仏の本願力によって誰でも浄土に往生できる教え』。
それは『無量寿経』第十八願の教えです。
南無阿弥陀仏・・・・・合掌