瑠璃光院 白蓮華堂
日曜仏教礼拝(11月29日・東先生)
2015-11-30
和讃のひかり
無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
正像末浄土和讃 愚禿善信集
*意訳
弥陀の本願は煩悩の長夜(煩悩によって迷う衆生)を照らすともし火である。
ゆえに、悟りの智慧の眼がくらいからといって、悲しむことはない。
弥陀の本願(悲願)は、迷いの生死の大海をわたす船であり、また筏でもある。
よって、罪障が重い(罪の重い身だから)といって歎く必要もない。
*文意
我欲にとらわれてばかりで、仏様のような智慧と慈悲とを
そなえた眼(まなこ)は私たちにはないが、心配することはない。
なぜなら、我執に充ちた自分(煩悩具足の衆生)であると
気づいたとき、苦海の闇で惑う私を、阿弥陀さまの願い(本願)の船や筏が、
かならず私を乗せて浄土へ導いて下さるのです。
それはまるで、暗闇にともる灯台の灯火(あかり)のようである。
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