瑠璃光院 白蓮華堂
日曜仏教礼拝(2月7日・東先生)
2016-02-08
和讃のひかり
一切の功徳にすぐれたる
南無阿弥陀仏をとなうれば
三世の重障みなながら
かならず転じて軽微(きょうみ)なり
(浄土和讃・現世利益和讃)
(1)意訳
一切の功徳にすぐれている南無阿弥陀仏を信じ、
その名号を称える人は、三世に積み重なった多くの
罪が減じて、軽くなるということ。
(2)文意
念仏が滅罪の益(やく)のあることを讃ずるもので、
重障を転じて軽くすることを讃じたものです。
すなわち、名号は万徳を具え、一切の功徳に勝れているから、
名号を称えれば前世現世来世の三世の重い罪は、
そのまま必ず転化して、軽微となる(重障から軽障へ)。
(3)語句の解説
①一切の功徳にすぐれたる
南無阿弥陀仏の名号には、万善万行の功徳が
濃縮され籠っているので、他の一切の功徳よりすぐれていること。
(選択集に「仏の名号の功徳は、余の一切の功徳に勝る」とあります)
②三世の重障
三世で積み重ねた罪業で、悟りをひらく障りとなるもの。
三世とは前世・現世・来世のみならず、
過去・現在・未来、昨日・今日・明日、更に、さっき・今・これから、
とも言えるのではないでしょうか。
③かならず転じて軽微なり
転は転変の意。軽微は軽くなること。
念仏の行者は信ずる一念で三世の業障が消滅して、
正定聚不退の位に至るから、このように表現したものです。