瑠璃光院 白蓮華堂
2015年11月09日
和讃のひかり 宝林宝樹微妙音 自然清和の伎楽にて 哀婉雅亮すぐれたり 清浄楽を帰命せよ 浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃 和讃の意味 極楽浄土にある七宝の樹林(宝林宝樹)に清らかな風が吹くと、枝や葉が揺れて微妙な音楽が響いてくる。 その音色は、だれが奏でるでもなく清らかで調子がよく整っていて、まるで巧みな楽人たちが演奏している音楽のよう。 その響きはあわれげに澄み、たおやか(哀婉)で、冴えわたっている(雅亮)。これを聞くものには仏の教えを感じさせ、 慈悲の心を起こし智慧を開かせる。このように清浄な音楽を奏でることから清浄楽と呼ばれている阿弥陀如来様を信じてお任せしましょう。 宝林宝樹は七宝で飾られた樹の林。七宝は金・銀・瑠璃・玻璃・車渠・瑪瑙・珊瑚の七種の宝石。 浄土は魂の安らぐ世界、人と人との心が通い合う和合・調和の世界。色も形もない清浄な世界なのだが、 それを七宝の色とりどりでさまざまな光に輝く世界という表現をした。それぞれが個性・特色を発揮しながら調和し輝いている世界。 続く和讃に「清風宝樹ふくときは いつゝの音声いだしつゝ 宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし」(清風が宝樹を吹き動かすと、 宝樹が五音を出し、それがよく調和していて自然である。この音色を出されている清浄勲の阿弥陀仏を礼拝しよう)。 娑婆世界はいろいろな音が勝手に鳴っていて、誰もが身勝手なことを言い募り、勝手なことをして不協和音に満ちているが、 浄土には不協和音がなく、調和している。人それぞれ違いはあるが、それにこだわらない、自然に調和している、という考え。 五つの音声とは、中国は五音階。宮・商・角・徴・羽(きゅう・しょう・かく・ち・う)。ド・レ・ミ・ソ・ラ。 中国伝来の日本の声明(お経や和讃)もこの五音。(「ロレツ(呂律)が回らない」) |
2015年11月04日
11月、「霜月」。「しもづき」の語源については諸説あり、 そのひとつとして、「食物月(おしものづき)」というものがあるようです。 月の季語として蒟蒻、蕎麦、銀杏、白菜、大根、かぶ、ふぐ、柿、沢庵など多くの食べ物が挙げられ、 住まい近くの畑では瑞々しい大根の葉や白菜が収穫を待っていました。 小さい頃に、祖母から「時期のある食べ物は、やっぱりそれぞれの時期に 収穫して食べるのが一番美味しいし栄養もあるんだよ」と教わりながら、 畑仕事を手伝ったことを思い出します。 紅葉が寒さで色を変えるように、大根も寒さが増すと甘くなるのだそうです。 寒くなるとお鍋やおでんが恋しくなりますが、大根や白菜等、 まさに「食物月(おしものづき)」の食べ物が欠かせません。 技術の進歩で一年中いろいろな野菜が店先に並ぶようになっても、 四季折々の食べ物は恋しいものですよね。
冷え込む日が続くようになり、冬の足音も聞こえて参りました。 どうぞお風邪などを召されませんようお過ごしくださいませ。 |
2015年11月02日
和讃のひかり 大聖おのおのもろともに 凡愚低下(ぼんぐうていげ)のつみびとを 逆悪もらさぬ誓願に 方便引入(ほうべんいんにう)せしめけり 浄土和讃 観経意 *意訳 これらの大聖(聖者)がたは、あるときは善人となり、またある時は悪人となって、 いろいろとその姿をかえて、凡夫愚人の私たちを、弥陀の本願にひきいれようとなさった。 *文意 聖者がたがいろいろな悪人の姿となってあらわれ、それらの悪人の姿となった聖者たちが、 悪行をはたらくことによって、愚かで下劣罪人である私たちを、 善人も悪人も等しくお救い下さる阿弥陀仏の誓願に、たくみに導き入れようとなされた。 *語句の解説 ①大聖―偉大な聖者がた。 ②凡愚低下―煩悩のいいなりになって日暮らしをし、罪を犯さずには生きていかれない人々。 伝教大師最澄はご自身の事を「愚が中の極愚、狂(おう)が中の極狂、塵禿(じんとく)の有情、低下の最澄」 といっています。和讃の凡愚低下に通じるものです。 ③逆悪もらさぬ誓願―五逆(父親、母親、聖人を殺す等)をおかした者であろうが、 十悪(殺人、盗み、うそ等)をおかした者であろうが、あらゆる悪いことをした人びとこそ、 救わなければならないという、阿弥陀さまの広大なる本願のこと。 ④方便引入―さまざまな手だてをめぐらして、私たちを仏法の世界に導き入れること。 |